2011年7月28日木曜日

ケガの巧妙。

今日、SOPHIAの武道館公演のチケットが
届きました。
自分が髪の毛を伸ばしているのは
SOPHIAのボーカル・松岡充の
真似をしているのです。
充ヘアーを目指しているのです。
 
なんかチームの掲示板なのに
ソフトからかけ離れて
ソフトの話を書こうと思っても
なかなか出て来ないや。
 
左バッターになった話を書きます。
自分が作られた左だということは
すでに皆さん、ご存知だと思います。
表題の通り、本当にケガの巧妙だったのです。
 
大学時代、準硬式野球部だった自分は
バッティングキャッチャーをやっている時に
左親指を脱臼してしまいました。
皮から骨が今にも出そうな状態でした。
 
1年秋のリーグ戦
3部優勝のかかった残り2試合に先発出場し
しかも、結果を出して
レギュラーが目の前だったのですが
このケガで2年の春は
ほとんど練習の手伝いで終わってしまいました。
 
元々右バッターだった自分にとって
リードする左手が握れなくなってしまい
賭けに出ることにしました。
 
左バッターとして再チャレンジ。
それまでの人生で振ってきた右でのスイングを
取り返すくらい振らないと
左になれないと思い
毎日毎日バットを振って
後輩やマネージャーにティーを上げてもらって
潰れたマメの中に出来たマメが
もう一度潰れたりしました。
 
重いマスコットバットと普通のバットを
交互に使ってのティーでパワーをつける練習とか
次々にあげてもらう、高速ティーで
スイングスピードを上げていったりしました。
 
同じポジションの一つ下の後輩は
法政二高で甲子園に出場した
スラッガーで5番に君臨していました。
 
そんなわけで
左に転向して
初めて公式戦に出たのが
3年秋のリーグ戦。
この時は2部に上がっていて
国士舘のピッチャーに
デッドボールもらいました。
 
その後、4年春の関東大会まで打席はなく
大差で勝っていた成蹊大戦で
代打に出て
ライトオーバーのスリーベース。
三塁ベースにヘッドスライディングしました。
 
自分は野球で一番美しい場面は
スタンド越えのホームランではなく
外野の間を抜け
三塁ベースにヘッドスライディングすることと
思っています。
 
体現することができました。
 
今、ソフトをやっていて
さして体の大きくない自分が
ここまでやってこれたのも
左に転向したからだと感じています。
 
スラップまがいのことを続けていると
ポイントが近くなって
強振した時につまったりするけど
でも、やっぱり左はおもしろいです。
 
内野に警戒されているなと感じる時が
たまらなく楽しいです。
 
 
写真はアサヒビールイメージガールの
春輝さんです。
今まで載せてきた女の子達
皆さんは、どの子が好みですか?
 
自分が好みなんて言わないでくださいね。
でも、それも新しい世界みたいで
いいかもしんない。 
 
 

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